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代表メッセージ

誰もやりたがらない
施工こそ やる価値がある

代表取締役 山盛正昭

建築金物業一筋の道。

私は、18歳の時にこの建築金物業を始め、27年以上の年月が経ちました。
会社としては、40年以上の歴史があり、父が営んでいた三誠の前身会社から
引き継ぐ形で、平成25年に「株式会社 三誠」となりました。

建築業として建築金物取付、EXP.J設計施工、サッシ、
エクステリア、外構付随工事など、様々な業務を専門業者として、
難しい仕事や遠方の仕事も承っています。

社訓である「三つの誠」、誠心、誠意、誠実を胸に、日々邁進しています。

きっかけは、母の一言。

子供の頃から「ゆくゆくは後継ぎに」、と親族から言われ続け、工事現場で働く父や職人の男らしい姿に子供ながらに
カッコいいと感動を覚えながらも正直、後は継ぎたくないと思っていたこともありました。
そんな学生の頃、父の会社が人手不足で苦しんでいたこと、そして私の将来を気にかけてくれたのか、

母が「お父さんの仕事、手伝ってあげたら?」と一言。

普段仕事のことは口にしない父のまっすぐ頑固な姿勢と、家族を思う母に胸を打たれ
学生を卒業するまでなら・・・と父の仕事に、この業界に足を踏み入れました。

後を継ぐため独立して学び、合併・統合へ。

父のもとで働きつづけ、28歳になった頃に父から「後を継ぐなら社会を知って、経営を学べ」と言われ、
同じ業態の会社、創城工業を0から1人で立ち上げ、独立を果たしました。

同じ業態とはいえ、父のもとで働いていた時とは違い、自ら経営、会社の舵を切る立場になったことで、
これまで工事現場では見えてことなかったこと、そして改めて工事現場でしか見えない、
この業界の楽しさや難しさ、課題に直面することができました。

そして、設立した創城工業が父の会社と肩を並べるくらいに大きくなった
平成25年に、父の会社と合併・統合し、「株式会社 三誠」とし新たにスタートしました。

今日では、元請け・上位会社から中小の建設会社、金物商社様など多くのご依頼をいただき、
拠点は大分県ですが、私をはじめ職人たちは九州各地(沖縄や離島)の現場へ飛び回っています。

社員が潤った先に、会社が潤う。

起業当初から、「人材育成会社」と呼ばれるほど、困った人を見逃せないタイプだった父は、
その人柄のために苦労を重ねたこともありましたが、社員が潤った先に、会社が潤う。
父が掲げたこの思想は、今の三誠にもしっかりと残り、通じています。

建築金物業界として、手先の器用さや技術力は、社員を成長させるための大切なものです。
そして、心の、物事の捉え方も技術力に通じていると私は考えています。

施工現場の情報についてや金物設置、加工についてなど、すべての業務において、社員への落とし込みは徹底し、
ミーティングや仕事外の雑談、何気ない話し合いをコミュニケーションとして大切にしています。
わたしが偉そうに1から10まで全て指導するのではなく、常に社員自身に何をどうすればいいのかを
考えてもらうことで、業務でもそのほかの場面でも更に成長していってもらっています。

NO.1を喜ばせる仕事をすること。

私は建築金物業としても人間としても、自分がNO.1だと思ってはいません。
NO.1は「お客様を含めた、街に暮らす全ての人たち」。
そして三誠の役割は、
街の暮らし、NO.1を喜ばせるために行動する、支えるNO.2である、そうありたい。
と考えています。

エキスパンションジョイントや手摺りや笠木などの建築金物は、生活の上でなくてはならない存在ですが、
それだけが光り輝いて私たちの暮らしを守っているわけではありません。
建築金物だけでは光り輝ききれない部分も、建物自体や他の木材、職人の腕が組み合わさって、
私たちの暮らしを豊かに守るものづくりになり、誰もが一番喜べる光り輝くものになっています。

常にNO.1を喜ばせられる、誇れる仕事を行うこと。
このことを私自身の胸に刻み、社員と共に歩み続けてゆきます。

代表プロフィール

経歴
  1. 1973年8月14日生
  2. 昭和60年金池小学校 卒業
  3. 昭和63年上野ヶ丘中学校 卒業
  4. 平成5年大分工業高等学校 卒業
  5. 平成3年 4月三誠サッシ工業 勤務
  6. 平成18年 4月創城工業 開業
  7. 平成25年 10月株式会社 三誠 設立
所属団体
三洋工業㈱九州三洋安全施工協力会(副会長)